責任を押し付けることの無意味さ
「自分」と「他人」
前者は主体的に変えられるが、後者はまず変えることはできない。
なのに、自分を変えようとせずに、他人を変えようとばかりする人をよく見る。
この「他人」は一個人からグループ、組織、企業、政府、国家まで様々だ。
ガチャの結果が悪いから運営を叩く。
自分の思い通りのゲームを出さないから企業を叩く。
物価高騰に苦しんで政府を叩く。
自分の生活が苦しいから境遇に文句を言う。
首相や財務省なんかは何かにつけて叩かれているくらいだ。
それで、何か変わったか?
ゲームが面白くないのなら、面白いゲームを探せばいい。
ガチャの運が悪いのなら、課金前提で天井を目標に引けばいい。
それが嫌なら、最初からガチャゲーなんてやらなければいい。
ゲームデータが大きいのなら、他の不要なデータやアプリを消せばいい。
携帯端末を買い替えて、容量を増やすという手もある。
生活が苦しい?
会社で業績を良くするよう努力しているか?
自社より報酬の良い企業への転職は検討したか?
生活水準は見直したか?
無駄な出費が無いかチェックしたか?
事態を少しでも好転させられる行動は幾らでもあると思う。
他者に呪詛を投げかけたところで、何も解決はしない。
叩いているのじゃなくて意見を言っているだけだという人も居るかもしれない。
しかし、社会問題に一個人の視点のみで意見したところで、まず役には立たない。
「ガチャの排出率がおかしい」という意見すら、1個人の試行回数程度では答えなんて出ない。
自分で出来ることに重きを置き、最良の行動を選ぶことこそが、自分のためになるはずだ。